たたらと奥出雲の歩み
「諸郷より出すところの鐵堅くして、尤も雜の具をつくるに堪ふ」(出雲国風土記)– 神話の時代から連綿と続くたたら製鉄 –
『古事記』(712)や『日本書紀』(720)のヤマタノオロチ退治の神話では、高天原を追われたスサノオノミコトは斐伊川の上流、鳥髪の地(現在の奥出雲町鳥上)に降り立ちます。そしてイナタヒメと出会い、イナタヒメを救うためにヤマタノオロチを退治します。そのヤマタノオロチの尻尾から出顕したのが天叢雲剣(草薙剣)です。この神話の中で、スサノオノミコトはその降臨の地として、なぜ奥出雲町を選ばれたのでしょうか。ヤマタノオロチ退治の舞台はなぜ奥出雲町でなければならなかったのでしょうか。『出雲国風土記』(733)の仁多郡(今の奥出雲町とほぼ同じ)の条には、「諸郷より出すところの鐵堅くして、尤も雜の具をつくるに堪ふ」(奥出雲から出る鉄は堅く、様々なものを造るのに最適である)と、奥出雲の鉄の優秀性が記され、斐伊川の上流鳥上の地では古くから良質な鋼の材料となる真砂砂鉄が産出されてきました。
日本刀の材料となる玉鋼 – たたらの炎が燃える町 奥出雲町 –
日本古来の製鉄法「たたら」でのみ得ることのできる、至極の鋼「玉鋼(たまはがね)」。日本の美と精神の象徴である「日本刀」はこの玉鋼でしか作り出すことが出来ません。奥出雲町には、世界で唯一操業を続ける「日刀保たたら」があります。日刀保たたらで製錬された玉鋼は全国の刀匠のもとに送られ、刀工の技巧をもって、「日本刀の美」に昇華されていきます。
「日刀保たたら」~ 公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(東京都渋谷区)が操業するたたら。
1977(昭和 52)年に、日本刀の材料となる玉鋼の供給と、伝統技術の保存伝承を目的に、奥出雲町の地に復活した。
伝承される技 – 人間力で鉄をつくる-
たたら製鉄の技師長を村下(むらげ)といいます。村下は炉から立ち上る炎の色や、砂鉄が溶け出すかすかな音や匂い、肌で感じる熱など五感を使って感じ取り、鉄を生み出します。 粘土の炉と砂鉄と木炭、そして吹子から送られる風により燃え上がる炎。たたら製鉄には人間が炎や自然の恵みと向き合いながら鉄を生み出す姿があります。1400 年の歴史を持つ、世界で最も古い製鉄方法のひとつでありながら、たたら製鉄でのみ得られる「玉鋼」は現代の技術をもってしても作ることが出来ない高い品位を保っています。
*現在、3 昼夜連続の操業で使う材料は砂鉄 10トン、木炭12トン、そこから玉鋼を含む 3.2トンほどの鉧(けら)と呼ばれる鉄の塊を得ることが出来ます。
自然の恵みで鉄をつくる – たたら製鉄の歴史と先人たちの営みが刻み込まれた大地 –
粘土の炉と砂鉄と木炭、そして吹子(ふいご)から送られる風、たたら製鉄は自然の恵みで鉄を作る技術です。原料である砂鉄は、人力で山を切り崩し、切り崩した土砂を水路に流し込む「鉄穴流し(かんなながし)」という方法で採取されました。鉄穴流しの跡地は放置されることなく先人のたゆまぬ努力により棚田として再生され、「仁多米」の産地として今に伝えられています。また、燃料の木炭を生産する山林も、計画的な伐採と植林を繰り返すことにより保全されてきました。奥出雲の大地には、たたら製鉄を中心として自然と人間が見事に協調し、農業と林業そして鉱業のすべてが統合した暮らしの仕組みがあります。奥出雲の大地にはその暮らしの痕跡や、自然に対する畏敬の念が刻み込まれています。