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奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観

天平 5 年(733)に編纂された『出雲国風土記』の仁多郡の条に、「諸郷より出すところの鐵堅くして、尤も雑の具を作るに堪ふ(各郷から産出する鉄は、堅くて、様々な道具を造ることが出来る最適な素材である)」と本地域で産する鉄の優秀性が記されています。以来、千数百年にわたり営々と砂鉄を採り、炭を焼き、そして “たたら”を吹き続けてきました。奥出雲の大地を切り崩し、自然の恵みである砂鉄を採取した跡地は、荒廃させることなく豊潤な棚田に姿を変え、奥出雲の特産品である「仁多米」を生み出す広大な農業基盤として復元していきました。また、山林資源は無秩序な伐採をせず、たたら製鉄が永続操業できるよう約 30 年周期で輪伐しながら保全するなど、たたら製鉄とともに生きた先人たちは、自然と共生し、持続可能な産業を生み出してきました。こうした、生業の過程で形成された特徴的な景観が評価され、平成 26 年 3 月18日に「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」として、中国地方で初めて国の重要文化的景観に選定されました。

奥出雲の特異な景観

奥出雲の棚田をよくみると、ところどころにポツリポツリと、小山のある景観が目にはいります。一体、この不思議な小山にはどんな意味があるのでしょうか。そして、どのようにつくられたのでしょうか。小山の上を注意して見てみると、たいてい、お墓や木、祠などがあることに気が付きます。実はこれこそが、奥出雲で古代製鉄技術「たたら製鉄」が盛んだったことを証明する大地の記録なのです。奥出雲は、今から約1300年前に編纂された出雲国風土記に良鉄の産地であると記載されて以降、明治(1868~1912)初期まで日本の鉄生産の中心地帯でした。奥出雲の大地には、この永きにわたって大規模に行われた鉄づくりの営みの歴史が深く刻み込まれているのです。

棚田 大原新田

 大原新田は、河川から脊梁山地に向かって伸びる山腹を、大規模に削って開かれた棚田です。近世に鉄師として繁栄を極めた絲原家は、寛永10年(1633)に大原鉄山においてたたらを創業したのが始まりといわれています。天明8年(1788)に、主力のたたらを、現在の大原新田の位置にあった大原たたらから、現在地である雨川の鉄穴たたらに移しました。そして、江戸時代末期の文久2年(1862)になると、絲原家により大原たたらの跡地を棚田とするための造成が始められ、大原新田が形成されていったようです。
 大原新田の特徴は、一区画あたりの面積が平均して20アール近くあり、しかも整然としている点です。あたかも近年に圃場整備を行ったかのように見えるほどですが、造成当初の古い姿を残したままであると伝えられ、当時の技術の高さを伺い知ることができます。
 見事な棚田は日本の棚田百選にも選ばれています。

エリア〒699-1941 奥出雲町大馬木周辺
展望台あり
〒699-1941 奥出雲町大馬木13

原口鉄穴残丘

「鉄穴流し(かんなながし)」は、たたら製鉄の原料となる砂鉄を採取するため、砂鉄を含んだ山を切り崩して土砂を水に流し、下流に設けられた水路の中で、比重の違いを利用して重い砂鉄を水路の底にため、軽い他の土砂は下流に流すことで砂鉄を選り分け、採取する技法。
鉄穴流しが行われた場所は、自然地形とは異なる特徴を持っており、その代表的なものが、棚田の中にぽつりぽつりと見える不思議な小山「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」です。
この不思議な小山は、鉄穴流しの際に、鎮守の社や墓地などのある神聖な場所を守るため、わざと削らずに残したもので、奥出雲で「たたら製鉄」が盛んだったことを証明する大地の記録であり、奥出雲の特異な景観が生まれました。
稲原地区原口集落には、九つの鉄穴残丘があります。

エリア〒699-1821 奥出雲町稲原周辺
展望台なし

棚田 福頼・蔵屋

 山と山に挟まれた細長い土地に列状に家が続く福頼集落から、家並みの背後にある坂を登っていくと、かつて脊梁山地の頂上であった場所が大規模に切り崩された台地状の地形があり、そこに広大な棚田が開かれている景観が目に入ります。家よりかなり高い位置に棚田があることから、この田んぼを地元の方は「空田(そらだ)」と呼んでいます。
 そして、その棚田をさらによく見ると、不思議な小山が点在しており、独特な棚田景観の大きな特徴の一つとなっています。
 また、棚田から南側に向かうと、切り崩され拓かれた棚田と自然の形状を残す山地の境目に切羽(きりは)と呼ばれる崖があり、この上に棚田の展望台があります。展望台から眺める広大な棚田景観は圧倒的です。

エリア〒699-1802 奥出雲町大呂周辺
展望台あり(福頼棚田展望台)
〒699-1802 奥出雲町大呂1411

棚田 追谷集落

 追谷集落は、古事記においてスサノオノミコトが降り立った地として知られる船通山のふもとにあります。スサノオノミコトが八岐大蛇を追い込んだ谷であるので、追谷と呼ばれるようになったという伝承も残るなど、出雲神話ゆかりの地です。この集落の特徴は、なんといっても、かつて、たたら製鉄の経営者である鉄師として隆盛を極めた卜藏家(ぼくらけ)の本拠地があり、集落の中に往時の繁栄を伝える文化遺産が随所に残る点です。
 集落を少し奥にはいったところにある綿内公園には、地元の方によってつくられた展望台が設置されており、ここから山に挟まれた谷の中にたたら製鉄由来の棚田が拡がる美しい集落を一望することができます。

エリア〒699-1801 奥出雲町竹崎周辺
展望台あり(綿打公園)
〒699-1801 奥出雲町竹崎870

櫻井家・可部屋集成館

 可部屋集成館は、奥出雲櫻井家に長年累代にわたり、伝えられてきたものを集成した歴史資料館です。櫻井家は、戦国の武将「塙団右衛門」の末裔家です。製鉄業を営み、”菊一印”の銘鉄を創り、松江藩より「鉄師頭取」の要職を拝命しました。広く地域内の製鉄業を取りしきりました。また、松平不昧公が命名した「岩浪」の庭園(国指定名勝)も美しく、秋の紅葉スポットとしても有名です。

〒699-1621 奥出雲町上阿井1655 TEL:0854-56-0800

絲原家・絲原記念館

 白壁土蔵づくりの趣のある記念館には、松江藩鉄師頭取絲原家が長く伝承してきた美術工芸品やたたら製鉄資料などを展示しています。また、隣接する絲原家居宅は国の有形文化財に登録される大邸宅です。出雲流庭園(国登録記念物)と合わせてみると、かつてこの地で栄えた鉄師の往時の姿がしのばれます。記念館奥手には林間散策路「洗心乃路」があり、四季折々の移ろいを楽しむことが出来ます。

〒699-1812 奥出雲町大谷856-18 TEL:0854-52-0151

卜藏庭園

 この庭は、中国山脈に近い奥出雲の南部斐伊川の上流にあたる奥出雲町横田ト蔵家旧宅跡にあります。
かつてこの辺りは、砂鉄がよく採れ、製鉄が盛んであり、ト蔵家もこの地方では有数の鈩製鉄業者で郡役人も勤めました。このような郡役人は名家で声望のある家格の数件に限られていました。そしてこの地方では、鉄師あるいは中世以来の武家出身の豪族が勤めていたのです。
ト蔵家は鉄師として絲原家、櫻井家等諸家と共に優遇され、しかも中世以来の豪族であったからその経済力ははかり知れないものがあったと言われています。そしてこの庭園は、松江藩との繋がりにより、ト蔵家が関西地方から庭師(小堀遠州の弟子)を招き、元禄四年(1691)五代将軍綱吉の頃、約300年前に作庭したものと伝えられています。

〒699-1801 奥出雲町竹崎800 TEL:0854-52-3007

羽内谷鉱山鉄穴流し本場

 鉄穴流し(かんなながし)とは、砂鉄を含んだ風化花崗岩の山砂を水路に流し、下流に行くにしたがって砂鉄の含有量が高くなる比重選鉱法のことで、ここでは1972年まで稼働していました。往時の砂鉄の採取法を知ることができる産業遺産(町指定文化財)です。

〒699-1801 奥出雲町竹崎1870付近 TEL:0854-52-2680

奥出雲たたらと刀剣館

 奥出雲町のたたら製鉄の歴史と仕組みの展示をはじめ、操業の映像、そして玉鋼を用いて造られる日本美術刀剣について展示しています。たたら操業を安定させるための保湿と乾燥を目的とした巨大で複雑なたたら炉の地下構造模型は圧巻の迫力です。各種の鞴(ふいご)を踏む体験もできます。日本刀の鍛錬実演も公開しています。(月2回)

〒699-1832 奥出雲町横田1380-1 TEL:0854-52-2770

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