鉄づくりとともに育まれた循環型農業と特産品
日本農業遺産のまち 奥出雲町
奥出雲町は、たたら製鉄に由来する農業・林業・畜産業が自然と共生しながら営まれ、資源循環型農業によって、農業と暮らし、自然や文化・景観と、多様な生物資源が守られています。
奥出雲町の美味しい特産品を育む農林畜産業は、たたら製鉄と深い関係があります。砂鉄を採るため山々を切り崩し、その跡地を棚田に再生して「仁多米」が生まれました。当時、鉄の運搬や農耕などを担った和牛は改良技術を受け継ぎ、「奥出雲和牛」の産地となりました。また、木炭をつくるために約30年周期で管理されてきた森林は、「しいたけ」の原木供給林として利用されています。森林を伐採した跡には在来種の「そば」栽培も続けられてきました。
たたら製鉄が生み出したものは鉄だけでなく、奥出雲の大地を造り、多くの恵みを今もなおもたらしています。「たたら製鉄に由来する奥出雲の資源循環型農業」は、平成31年2月15日に中国地方で初めて日本農業遺産に認定されました。
たたら製鉄と棚田の形成
島根県奥出雲地域では、たたら製鉄(日本古来の製鉄法)の原料である砂鉄を採取するため、500年以上にわたって、鉄穴流し(かんなながし)という採掘技術で山々を切り崩し、採掘のために導いた水路やため池を再利用して次から次へと棚田に再生しました。
奥出雲地域の主たる母岩は深層風化の進んだ花崗岩(真砂土)で、この中に約1%の砂鉄を含有しています。棚田に再生するプロセスは、水流による比重選鉱で砂鉄を採取し、削平された跡地を土羽で土手(畦畔)を築いて、導いた水流でさらに土砂を流し込み水平にしながら耕地を形成し、水路やため池はそのまま利活用しました。
米づくりと和牛飼育の歴史
風化花崗岩は養分が少なく、稲作には極めて生産性の乏しい土壌であったため、まずはソバなどを栽培することで土壌を改良し、和牛の牛ふん、山草等を堆肥化して土壌の肥沃度を高めてきました。江戸時代から明治時代にかけて行われた、たたら製鉄には多くの役牛が飼育されていた背景もあり、堆肥を施用しながら生産性を向上させ、風土とあわせ良質米産地として「仁多米」は高い評価を受けています。
また、17世紀初頭から仁多郡の和牛改良が始まり、その知識を肉用牛の飼養管理技術として受けづぎ、系統を引き継ぐ種雄牛を造成し、繁殖牛を中心とした生産基盤体制により、県を代表する「奥出雲和牛」の産地となっています。
森林資源を活用した循環型農業
かつては、たたら製鉄や生活の燃料となる木炭を作るため、森林を約30年周期で循環利用してきましたが、石油に転換後、森林資源は原木椎茸に、近年では菌床椎茸や舞茸の栽培に活用され、本町の特用林産物販売額は約8億円をあげています。
現在、森林資源は家畜の敷料としても活用し、和牛飼育で発生した牛ふんと菌床椎茸栽培で発生した廃ホダを原材料として、町の堆肥センターで有機質堆肥を製造し、町内の水田に散布する体制を整え、循環型農業による米作りを実践しています。
たたら製鉄とともに生きた先人たちの努力と英知が築いた農業システム
<賢い土地の再利用>:砂鉄鉱山(鉄穴流し)跡地を広大な棚田に再生
農業 |
鉄穴流し跡地における農地開発とソバ栽培砂鉄採掘により大規模に切り崩した鉱山跡地は牛ふん堆肥やソバ等を蒔きながら、地力を上げた後、棚田を再生した。 |
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仁多米のブランド化とソバの遺伝資源長年の堆肥施用により日本を代表する「仁多米」を育み、「出雲そば」の産地として遺伝資源を保存・継承している。 |
<賢い知識の継承>:森林資源を循環利用する知識システムを現代に受け継ぐ
林業 |
たたら製鉄に使う膨大な木炭の製造薪炭林の資源が枯渇しないように約30年周期で輪伐し、広葉樹の萌芽更新による再生を繰り返しながら、保全・活用してきた。 |
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薪炭林から特用林産物の原木供給林へ薪や木炭など、燃料としての薪炭林は「シイタケ」などの特用林産の原木供給林として利用し、循環利用の知識システムを受け継ぐ。 |
<賢い技術の継承>:和牛改良の知識を肉用牛の飼養管理の適応技術として継承
畜産業 |
鉄の運搬や農耕用としての和牛の増産鉄の運搬や農耕用の役牛として増頭と和牛改良を重ね、長年の牛糞堆肥施用により良質米を育む。 |
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和牛改良の知識を肉用牛の飼養管理技術に継承17世紀初頭に始まった和牛改良技術により「仁多牛(現在は「奥出雲和牛」)」を造成し、肉用牛の飼養管理技術として継承している。 |
奥出雲の特産品
仁多米
奥出雲和牛
ソバ
シイタケ(菌床しいたけ)
地酒
まいたけ